自衛隊に行ってる息子とようやく連絡取れた

自衛隊に行っている息子が17日ぶりに自分の所属する駐屯地に戻った。
連絡をよこしたので、いろいろ話を聞く事ができた。


派遣されてから17日間、お風呂に入ったのは2回だけ。
寝るのはテントで寝袋。 寒くて眠れなかった時もあったとの事。


食事は缶詰。温めればそれなりに食べられるものだけど、温められるわけが無い。 箸も立たない程固いものを無理やりに口に放り込むしかなかったらしい。
16日目にようやく暖かいものを口にできたとの事。


屋根などに避難した人を救助する場合、浮かんでいる木材で筏らしいものを作り、そこに乗せて運ぶのだけど、自分達は胸まで水に使ったまま。 マンホールが開いているので、落ちないよう手近な棒等で地面を探りながらゆっくり筏を押したそうな。


胸まで水につかってもお風呂には入れない。冷えた体で寝袋に入るしかない。
毛布もない。


朝は4時に起きて夕方6時まで救助と捜索。

ガレキの中をくぐるようにして捜索するが、余震が続いていつ崩れるか分からない危険と隣り合わせ。
危険と不安と過酷な状況の中で、過度のストレスの為、体調を崩したり、うつ病のようになり始めた隊員も出てきたらしい。


避難した人達にお風呂を提供しても自分達は入れない。
避難所に水やバナナを届けても、自分達は冷たい固い缶詰だけしか食べられない。


数日前には支援物資も届き始め、灯油も届き、食事も暖房もできるようになってきたが、その頃には自分達より避難している人たちの方が良い生活をしているように感じてしまった、との事。
でも、その人達は帰る家の無い人が殆ど。家があってもその土地に住めるかどうか分からない。
家族の安否がわからない人達も多い。


今夜は駐屯地で休み、明日の午後からまた宮城方面に出発するらしい。
髪もひげも伸びて、目の下にくまができて、やつれて痩せこけた息子の顔を見るのは辛い。
必死で、それこそ文字通りの必死で活動している息子に「頑張れ」なんて言えない。「気をつけて」と、それだけ。

国の為、人の為に頑張れるのは素晴らしい事。
そう思って力の限り頑張っている自衛隊員が10万人いる事を、日本の国民全てが知ってる。


でも、親としては心配で不安な日々。